三股町
昨夜の雨もあって、シイタケが一気に傘を開いた。
食べ切れないので、干し椎茸にすることに。
昨年暮れに切り倒したクヌギの材も、そろそろコマ打ち作業をする時期となった。
コマ打ちしてから、収穫は2年後になる。
さて、学生の頃、所属していたのは「農業生物研究会」だった。
サークルの名称は農学部にあったからの故であろうと思う。
このサークルの顧問教官は昆虫学の教授でもあり、研究会の活動拠点は昆虫学研究室にあった。
一年生の時に即入会したが、当時、昆虫に興味を抱いている会員は院生も含めて5名、鳥に興味を抱いている会員が8名だったと記憶している。鳥か昆虫かという、そんな区別に関係なく週に一回研究室に集まって楽しく語り合っていた。
それぞれ所属している学科も環境保全学や生物化学、園芸学、林業学だったりと農学部の各学科に渡っていた。
私は3年生になったら専攻を昆虫学に決めていたけれど、鳥の撮影にものめり込んでいて、鳥の先輩たちから色々と教わることが多かった。
当時、野鳥の撮影機材はニコンの300ミリ一本きり。そのレンズはあまり寄れないので、接写リングをかまして、松山城に通ったのも懐かしい。もちろん、追い撮りである。
なんとか寄れるのはウグイスくらいだったが、相手は藪の中をチョロチョロ動くので、まともな写真は一枚も撮れなかった。
唯一、人前に出しても恥ずかしくない写真が撮れたのはビンズイだったけれど、1カットのみ。その貴重な写真も後々、生計のために売り払ってしまった。一時期、写真を切り売りして凌いでいたことがあるけれど、そう長くは続かなかった。
41年前の写真。私が胸にかけている紐は、バードコールだ。
金具をひねって回すと、キリキリ、キコキコと音が出て、鳥が集まるというものだ。もう今は手元に残ってない。
21歳の私は、いったいなにをどう思ってこんな自撮りをしたのだろう?
机の上に広げているのは五万分の一地形図とフィールドノート。
「初心忘るべからず!」という、未来の自分へのタイムカプセルだったか。